今日吹く風は明日は吹かない
楽しい工作シリーズ・カラフルキャンドル

我が家の2人の子どもたちは、今年それぞれ高校と中学校を卒業した。
そんな年齢になれば、一緒に工作したり公園で遊んだりすることもなくなってしまう。寂しいものだ。

幸いなことに、甥や姪、つまり子どもたちの従兄弟たちはまだ中1と小4だ。しかも、みんな都内にいる。
だから、親戚一同で集まるときは僕も生き生きとしている。なにせ、遊んでくれる子供たちがいるからね。

例年、4月には親戚12~3人が集まって春生まれ3人の誕生パーティをやる。ロウソクを消すのは子どもたちの役目。
一通りハッピーバースデイでの唄を歌って、ロウソクの炎を吹き消した後、義母が僕に語りかけてきた。

「このケーキ用のロウソク、毎回取っておくから山のようにあるんだけど、どうにかならないかしら」

「じゃ、大きなキャンドルでもつくりましょうか!!」

ということで、大きなキャンドルを作ることを思いついた。楽しそうじゃん!

テーマは「廃品だけで作るカラフルキャンドル

グラデーションにしようとか、流し込む型はペットボトルを切って作ろうとか、布団の中でいろいろ考えた。

そして翌朝・・・子どもたちとカラフルキャンドルの製作開始!

【用意したもの】
・ロウソク(赤、青、黄、緑などいろんないろのものをたくさん)
・タコ糸(カラフルキャンドルの芯にする)
・500MLのペットボトル×2本 (一つはロウソクを溶かすための器として、もう一つはカラフルキャンドルを流し込む型として)
・割り箸
・ハサミ
・カッター
・手鍋とコンロ
・ロウソクを入れておく浅い箱(何個か)

【作り方】

1.ロウソクの準備

まずは、ロウソクを色分け。中途半端な色のロウソクや複数の色が組み合わせてあるロウソクはよけておく。

次は、ロウソクについたままの銀紙(アルミホイル)を取る。

一度使ったロウソクの場合、軸の黒くなっている部分をハサミで切り落とす。黒い煤でカラフルキャンドルの色が汚くならないように。

2.ペットボトルの加工

ペットボトルの底から7~8cmの高さのカップ状になるようにカッターできる。これを2個作る。
一つは、ロウソクを溶かすための器として用いる(詳しくは後述)。もう一つはカラフルキャンドルを流し込む型にする。
器として使う方は、浅くても深くてもダメで、7~8cmくらいがちょうどいいと思う。
型として使う方は、深さでカラフルキャンドルの高さが決まる。大きなキャンドルを作りたければ深さを深くしておく。

次に、型として使うペットボトルのカップの底の中心にタコ糸の一端をくっつける。最初、接着剤でつけようと試みたが、乾くまで時間がかかるので、ロウソクに火をつけて溶けた蝋を滴下してくっつけた。

そして、ペットボトルのカップの底にタコ糸がくっついたら、タコ糸をピンと張り、割り箸でタコ糸の上側を挟んでカップの上に渡す。

3.ロウソクを溶かす

もっとも悩んだのは、どうやってロウソクを溶かすかだ。
鍋に入れて火にかければ簡単に溶けるが、後で鍋をきれいにするのが大変だ。

そこで、手鍋に水を入れて沸かし、そこにロウソクを入れたペットボトルのカップを入れて(つまり温浴状態)、ペットボトルの中のロウソクを溶かす。これなら、鍋は汚れない。

ロウソクというのは、種類によって融点が異なるが、だいたい60~70度くらいだ。だから温浴で溶ける。
などということを子どもたちに説明しながら、火にかけたお湯にロウソクを入れたペットボトルのカップを入れてロウソクをゆっくり溶かす。

沸騰するかしないかくらいのお湯につけると数分でロウソクが溶けはじめる。この時は15分くらいで全て溶けた。

製作するカラフルキャンドルはグラデーションにしたいので、下記のような順番でロウソクを溶かし、型に流し込む。



赤と黄色を混ぜたオレンジ

黄色

黄色と緑を混ぜた黄緑



緑と青を混ぜた青緑

溶けた蝋は流し込んで30秒もすると表面が固まったように見える。しかし、表面がそう見えるだけでまだ液体なので、少し時間をおいて冷ましてから次の労を溶かし始めるくらいがちょうどいい。

そして、全部流し込んだら常温でゆっくり温度を覚ます。

子どもは、水が氷ったら体積が約10%増えるということはよく知っている。

しかし、水というのはとても特殊な物質で、その他の多くの液体は固体化(凝固)すると体積が減るのだ。

ここで作ったキャンドルも、温度が冷えて固まると上の面が大きく凹んだ状態になる。これは凝固して体積が小さくなったからだ。

ということを子どもたちに説明する。

大人も楽しい。高校生になったばかりの我が家の息子も、割と楽しんでロウソクを溶かす作業をしてくれた。

もっときれいなキャンドル作りたい!!!

ドキドキする経験

今朝、すし詰めの横須賀線でドッキドキの出来事があった。

満員電車のドアの脇に背中を押し付けるように立っていた。ギュウギュウ詰めの息苦しい中、いつものようにカバンを体の前に抱えてスマホでFacebookの投稿を読んだりコメントを書いたりして気分を紛らす。

すると、突然信じ難いことが起きた。

目の前にピッタリくっついて横向きに立っていた若い女性の顔が、こっちを向いてスーッと僕の顔に正面から近づいて来るのだ。

まるでキスでもされるときのように。

まさか、そんなことがあるはずはないので、素知らぬフリをしていた。不用意に満員電車の中で女性を見つめたりしちゃいけないという心理がとっさに働いて、スマホのFacebookの画面から目をそらさないように意識した。

彼女の顔は、僕のと顔の距離が20cmを切ってもまだスーッと近づいてくる。スマホから目をそらさなくても、視界の中で顔つきや表情がはっきり分かるほどになってきた。30歳前後の色白で可愛らしい優しそうな顔立ちの女性だ。

可愛い・・・。でも、さらに近づいてくる。それも、少し顔を傾けがちにしながら。

自分の生唾を飲むゴクンという音が異様に大きく感じた。胸の鼓動が高まり、周囲から胸の動きが見えるんじゃないかと心配した。鼓動のドクンドクンという音も周囲に聞こえているような気がした。

そして、とうとう我慢できず、近づいてくる顔に一瞬だけ視線を向けた。

すると一瞬だけ目が合った。しかし、彼女はまるで目があったことに気づかなかったかのように、僕の頭の後ろの方に視線を移した。目が合ったのは気のせいだったかもしれないと思った。

彼女の傾けた顔はまだ近づいてくる。このままだと、ホントに唇と唇が触れ合うかも。そう、本気で思った。

そして、ようやく彼女の顔が止まった。もう、彼女の唇と僕の唇が5~6cmしか離れていない。

彼女の顔が近づいてきたことに気づいた瞬間からここに至るまで、恐らくほんの5〜6秒だったと思う。

肌で彼女の息づかいを感じる。電車がちょっと揺れただけで、唇と唇が触れ合う距離だ。だが、そこで止まっている。

彼女の顔を直接見ないように気をつけながら、視線を少しだけスマホから上げてみた。

彼女の唇は僕の唇のすぐ前にあり、彼女は顔を斜めにして僕の頭の後ろを見ている。たぶん、ドアの脇に貼られている広告を見ているのだ。

この距離はあまりに不自然だ。周囲から見たら、キスをしなくても夫婦か恋人同士だろうと思う距離だ。そうじゃなきゃありえない距離だ。

胸の高鳴りはさらに大きくなった。

(ホントに唇が触れ合っちゃったらどうしよう・・・・)

などと、急にウブな中学生のような甘酸っぱい想像に浸ったかと思えば、

(電車が揺れた瞬間に、揺れたふりしてキスしてみようかな・・・)

などと、アホな高校生のようなことを考えてみたりした。しかし、そういう時に限って、電車は横方向にしか揺れない。

異常な緊張感だ。ドッキドキだ。本気でその娘に惚れそうだ。

気が動転していたせいか、この状態がどれくらい続いたのか全く分からない。しかし、最低でも2分くらいはこの「キス直前状態」のままで過ごしたように思う。それは、とてつもなく長い時間に感じられた。

そして、電車は都内某駅に到着し、夢のような出来事はあっさりと過去のものになった。

やっぱり揺れたフリすればよかったかな・・・。

サラリーマンの資産形成

坂下仁(さかしたじん)さんという、僕の先輩でもある銀行員が、著作の出版に初挑戦しました。サラリーマンの現実的で効果的な資産形成についての本です。

本のタイトルは『いますぐ妻を社長にしなさい
https://www.facebook.com/japanmoney

初めて本のタイトルを見たとき、「なんて安直なタイトルなんだろう」というのが僕の正直な印象でした(坂下さん、ごめんなさい)。つまり、「努力せずに成功するダイエット」に似たものを感じるし、「金儲けノウハウなんて、本を読んでうまくいくくらいなら皆うまくいってるじゃん!」って感じたのです。

とはいえ、先輩ですし、第一印象だけで判断するわけにもいかないので、坂下さんのブログを読んでみることにしました。すると、そこに書かれていることはサラリーマンが株式投資などの安易にリスクの高い(逆にリスクが低ければ儲からない)資金運用をするのではなく、堅実な資産運用をするべきだという地に足の着いた内容だったのです。

この本の根底には、「お金とは感謝の気持ちとして還ってくるもの」という一貫した思想が流れています。だから、空虚なマネーゲームで稼ごうとすることには否定的です。

とはいえ、サラリーマンが副業を起業するのはハードルが高いし、そもそも起業したって成功するとは限りません。リスクのあるビジネスをやるのではなく、「妻に社長になってもらって節税に取り組む」のが一番いいよって教えてくれているのです。そして、そのためのテクニックやノウハウ、副次的効果も自らの体験を通じて語ってくれています。

なんといっても、坂下さん自身が現役の銀行員で、まあ結構偉い人なわけです。しかも、株取引に失敗して破産しかけた経験があるっていうんだから、ちょっと興味深いですよね。そんな坂下さんを応援したいです(^^)。

序文、目次、第一章が下記ページからダウンロードサイトに進めるようなので、興味のある方はぜひ見てみてください。

https://www.facebook.com/japanmoney/app_211074635600191

『いますぐ妻を社長にしなさい』は2014年2月19日発売!

僕もワイフを社長にして節税しようかなって、マジで思い始めてます(^^;。

問答河岸碑

旧東海道の宿場通り、今の北品川商店街の一角に「問答河岸碑」という碑を見つけた。

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歯医者の建物の角にあるのだが、2~3年前(2009年頃)にはここは歯医者ではなく「菊ずし総本店」という老舗のお寿司屋さんだった。これまであまり気に留めていなかったのだが、碑の横に由来書きがあったので、写真を撮って自宅で読んでみたところ、とても興味深い内容であった。由来書きは木でできたものなので劣化が激しく、ところどころ読むのが難しい個所がある。推定した箇所も少なくないが、概ね間違ってはいないだろう。このままにしておけば、本当に風化が進んで読むことができなくなってしまうと思われるので、由来書きの文章と自分なりの訳文(子どもでも分かるように平易な言葉に訳した)を書いてみた。まさに、「煙滅を惜しみWebに録して永世芳を伝えんとす」という心持で記録したものである。

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なお、実物の由来書きは1行17文字の等幅の文字で書かれており、ここでも改行位置が実際のものと同じになるように書いた。また、実物の由来書きには句読点はないが、句読点を打つべき箇所は一マス空けてあるので、それに合わせてここでは句読点を記述した。

【由来書き解読】

問答河岸由来記

寛永の昔、徳川三代家光将軍 勇壮活

達の明君也。宗彭沢庵禅師に帰依して

品川に萬松山東海寺を建つ。寺域五萬

坪寺領五百石。殿閣僧房相連って輪奐

美を極む。将軍枉駕年間十数度法を聴

き、政治を問う。厚遇思う可し。

将軍一日天地丸に座乗し品海を渡り目

黒河口に繋船して東海寺に詣で、喫茶

法話、薄暮に至って江戸城に還らんと

す。禅師河畔に立って是れを送る。

将軍乗船に臨んで禅師に参問して曰ク

海近くして如何に是れ東海寺と。禅師

答而曰ク大軍を指揮して将軍と言う如

しと。将軍一笑。纜を解いて而て還る。

時移りて三百年地勢亦変じ河海遠し

然れ共市人傳えて問答河岸と称す。

一世の英主、一代の名僧、諧謔談笑の

蹟。菊鮨總本店主其煙滅を惜み石に録

して永世芳を傳えんとす。亦可しから

ずや。

昭和四十三年仲秋

衆議院議員 宇都宮徳馬書

【訳】

寛永の頃(1640年頃)、徳川三代家光将軍は勇壮で度量も大きく名君であった。

家光は沢庵宗彭禅師(この頃60代後半から70代前半)に帰依し、品川に萬松山東海寺を創建して沢庵を初代住職にした。

東海寺は敷地5万坪(約16万5千平米=東京ドームの約3.5倍)、寺領500石(当時上級武士で200石前後だったようなのでそれより格段に上)だった。寺の建物は大変立派で美を極めていた。将軍は年に十数度もこの寺に訪ねてきて沢庵禅師の助言を得た。いかに厚遇を与えていたかがそれからもわかるであろう。

ある日、将軍が天地丸(将軍専用の船)に乗り、品川沖を経て目黒川河口に停泊して東海寺を訪れ、(沢庵禅師と)茶を飲んで話をし、夕暮れ時になって江戸城に帰ろうとした。沢庵禅師は河畔に立って将軍を見送った。将軍が、乗船しようというときに、禅師に「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」と問答を与えたので、禅師はすかさず「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」と切り返した。将軍は笑い、停泊していた船に乗って帰って行った。

それから300年の時を経て地勢も変わり、(埋め立てなどで)海や川も遠くなったけれども、巷の人々がこれを伝えて(この地を)「問答河岸」と呼んだ。一人の名君と一代の名僧がユーモアある会話を交わした地。菊ずし総本店(北品川の老舗の寿司屋だったが、残念ながら2011年前後に閉店してしまった)の店主がその言い伝えが失われてしまうことを惜しんで石碑を建て、末永く伝えようとした。素晴らしいことだ。

消えていった無数の星たち

あれは、1993年の夏のこと・・・だっただろうか。

今でも忘れられない光景がある。

見渡す限り、いやどこを見てもポツンポツンと何も照らしていない街灯が見えるだけで、見渡そうにも見渡すものすらない真っ暗な田んぼ道。雨の夜、一本だけ舗装された田んぼの中の道路を30分ほど走り抜ける。ヘッドライトに照らされた道路上には何やらキラキラと無数の小さな光る点が見える。

「アスファルトに光る粉でも埋め込んであるんだろうか。」

そういえば、温暖化を防ぐ工夫としてアスファルトにホタテの貝殻を細かく砕いた粉を混ぜるって話を聞いたことがある。ヘッドライトできらきら光れば、道路とその周囲の区別もつきやすくていいのかもしれない。

「いや。昨日の夜、雨が降っていない夜にここを走った時は何も光ってなかった。」

水との相互作用で光るのか?いや、舗装コストを考えたら、いくら安全のためでもそれはあり得ない。

そして、数回同じような不思議な経験をした後、また雨の夜に一つのことに気づいた。

よく見るとキラキラ光るその点は道路の表面にじっとしているだけではなく、その中のいくつかは雨水が路面に当たって飛び散るように飛び跳ねているようにも見える。

「単なる雨水の反射か?」

だったら、他の道路でも同じことが起きるはずだ。

そのとき、嫌な直感が脳裏をよぎった。

「まさか、あれか?」

僕は、光る物体が何かを確認するために、恐る恐る車を止めた。周囲に車はないが、いつもの癖でちゃんとウィンカーを出し、左側に寄せて止める。

大粒の雨の中、運転席のドアを開けてその下の路面をみた。

・・・・

アマガエルだ。子供の頃、北海道のチミケップ湖のほとりで見た、都会で見る夜空と比べて何百倍もの星で満ちた天の川のように無数にキラキラと輝いて見えていた、その星の一つ一つはアマガエルだったのだ。

それが分かったと同時に、気づきたくない事実に気づいた。

恐らく雨の夜に一度通るだけで何千匹(あるいは1万匹以上かもしれない)ものアマガエルの小さく尊い命を無下に奪ってきてしまっていたのだ。

しばらく呆然と立ち尽くしたが、仕事の時間が迫っている。僕は車のドアを閉め、工場に向かおうとエンジンをかけたその時、さらにもう一つの事実に気づいてしまった。

アマガエルの大量虐殺に気づいていてそれを心の底から避けたいと思っている。にもかかわらず、僕は彼らを踏んで進まなければならないのだ。

僕は、せめて少しでも踏まないようにと、光る点の少ないところをタイヤが通るように、蛇行運転した。

(それから4年分くらいの経験を全部省略)

あの後、自宅から工場に向かうために田んぼ道を通らないルートを探したが、そんな道はないことが分かった。どうすることもできず、僕は5年間もの間、雨の夜には、ほとんど自分の他に車が通ることもない田んぼの中の道を蛇行運転してきたのだ。

もし、1回通るたびに8000匹轢いたと仮定すると、僕が奪った可愛いアマガエルの命は200万匹を超える数に上っていることだろう。

ごめん。僕に踏まれたアマガエルたち。ごめん。

世代をまたぐ「縁」

《東京札幌会》

2013年1月20日、僕は友人に誘われて「東京札幌会」という東京在住の札幌出身者(正しくは「札幌に所縁のある人」)の集まりに参加してみた。よく知っている札幌南高等学校の同窓生も出席しているはずだったが、僕が会場についた時刻はすでに開始ぎりぎりだったので同窓生の集まるテーブルには座れず、とりあえず空いていた席に着いた。

参加者はほとんどが自分の親と同じかそれ以上のご年配の方々で、すでに何度も参加して顔なじみになっている様子だ。せっかくなので話題に参加してみると、札幌西高等学校の同窓生のテーブルだという。世代も大きく違う部外者が割り込んできたにも拘わらず、すぐに打ち解けて談笑の輪の中に入れていただいた。

そして、もうすぐお開きという時刻になった時、縁の扉は開かれた。

隣に座っていた年配のご婦人がこう切り出したのだ。

「但野さんっておっしゃったわね。もしかして、北大の但野先生とご関係がある方?」

「父はもう引退していますが北大の教授でした。従妹は現役の教授です。父のことでしょうかね?農学部にいました。」

「あら、やっぱり!わたし、あなたのお父様が助手だった頃、事務の仕事をしていて、あなたのお母様もよく知っているのよ。その後のお父様のお仕事もよく知っているのよ。中の島にお住まいだったのよね。」

縁は異なものと言うが、まさかこんな場所で両親の若い頃のことを知っている方に出会うとは。僕が育った家のことも知っている。

このご婦人と、毎年7月に開催されるという「ビールの会」に一緒に参加すると約束し、一緒に記念写真も撮影させていただいた。またお会いするのが楽しみだ。

《銀座と武蔵小杉》

この日の予定は、東京札幌会の後、一度自宅に帰って出張の準備をし、信州に向かうことになっていた。

しかし、自宅に到着したとき、一つの問題に気が付いた。自宅のカギがないのだ。自宅に置き忘れて出てきてしまったのだ。しかも、この日、ワイフはPTAの打ち上げで遅くなるはず。娘も息子も塾で家にいない。18:00頃から1時間自宅の前で待ったが、Eメールの返事もなく、もう間に合わないと僕は出張を断念して、自宅近所にできたばかりの串揚げ屋で食事しながら家族の帰りを待つことにしたのだ。

串揚げ屋で1時間ほど経った時、まず長男からEメールが来た。

「ごめん、ごめん。今メールに気づいたよ。今すぐ迎えに行くよ。」

そして、長男が店に現れる直前、長女からもメールが来た。

「今、塾出たんだけど、あたしも鍵持ってなかった。お店に行くね。『はじめ』っていう店だよね?」

こんな経緯で、子供たちに串揚げを食べさせてやることになった。

串揚げというのは子供には贅沢な食べ物だ。普通の串揚げ屋では、目の前で1本ずつ揚げて、揚げたてを出してくれる。二巻ずつ頼んだら握って出してくれる江戸前寿司と一緒で、飲食店としては営業効率が悪く、必然的に高額になる。

しかし、この店はちょっと違う。10本くらい一度に頼んで、2~3本ずつ揚げ、10本くらいずつ一度に出してくれるから、値段的にはかなりリーズナブルだ。さすがに油の温度が下がるからか10本一度には揚げないようだ。最初は「えっ?」と思ったが、十分アツアツだし、子供たちと一緒に食べられるのはいい。

それを機に、それから2度ほど子供を連れて串揚げを食べに行った。

ある日、高校の後輩と新橋で飲んだことがあった。その時、帰りに「銀座VAMO」という、高校の大先輩が経営しているバーに立ち寄った。なかなかいい店なので、その次の週に弟を連れて行った。

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そこで、再び縁の扉は開かれた。

店のオーナーである大先輩がこう切り出したのだ。

「但野さんのお住まいはどちらですか?」

「武蔵小杉です」

「武蔵小杉ですか。実は息子がちょっと前から串揚げの店を出したので、もしよろしければ行ってあげてください。『はじめ』っていう店なんです。」

「え?『はじめ』なら知ってます!子供と何度か食べに行きましたよ!」

「串揚げ屋なんてやめろっていったんですがね・・・」

「いやいや、リーズナブルでなかなかいい店ですよ!」

次の週、僕は「はじめ」に挨拶に行った。

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もちろん、理系である自分が次に考えることは「このような出会いが起きる確率はどれくらいだろうかっ」てことだ。

Freddie Mercury

僕は小学6年生(1978年)のころからFreddie Mercuryが好きだった。

Freddieが亡くなったのは1991年の11月。Freddieが亡くなった当時僕は大学院の1年生だった。HIV感染者であることの噂はあったが、当人はずっと否定していた。1991年1月に久々のアルバム”Innuendo”がリリースされ、死期が近いという説は嘘だったかと喜んで買ったが、ひとつひとつの曲の歌詞は彼がこれから死ぬことを想起させるものが多く、そのあまりにも美しく、あまりにも力強く、あまりにも残る者たちへの愛情に満ちた歌詞に涙した。そして、それから約8か月後、彼はHIV感染者であることを自ら宣言し、その翌日45歳という短い生涯の幕を閉じたのだ。

Queenは活動を休止したが、1992年4月にFreddieの追悼コンサートが行われた。その時の映像がこれだ(と思う)。このコンサートのGeorge Michaelが歌う部分のCDを当時手に入れたが、それ以外の部分は今日YouTubeで初めて聴いた。George Michaelは、おそらくFreddieの追悼のためか、自分流ではなくわざわざFreddie Mercuryっぽい歌い方で歌ってくれていて泣かせてくれる。このコンサートには、Annie LennoxがFreddieのパートをカバーしたDavid Bowieとのデュエットもあって思いっきりFreddieを思い出させてくれる。

http://www.youtube.com/watch?v=sTSbew8FA-k

夜中に見つけて、朝まで聴いてしまった。

イランのお正月

最近初めて知ったのだが、3/20はイランのお正月なのだそうだ。国連でも認められている世界ノウルーズデイという春の祭典にもなっていて、世界中で3億人以上の人達がお祝いする日なのだそうだ。

で、友人が経営しているペルシャンギャラリーでは、2013/3/24〜3/30の期間に帝国ホテルのスプリングフェアの特設会場で「ノウルーズフェア」をやっている。「ノウルーズフェア」というのは「春の祭典」という意味だそうだ。海外のお客さんや大使館関係者からも好評なようだが、なかなか一般の方に知って貰えず残念だとその友人は言っていた。

「ノウルーズフェアの招待状」

ペルシャンギャラリー「イランのお正月」

帝国ホテルでの開催というだけでちょっと身構えてしまうが、友人の話によるとどうやらとっても気軽に参加できる催しのようだ。イランの風習なんてこれまで身近に感じることがなかったが、そのイランも東日本大震災の時には親身に支援や応援をしてくれた。中東のこの国の文化に触れることができるせっかくの機会だし、ぜひ参加してみたいものだ。(でも、出張中で行けないかもしれない。。。)

★ノウルーズフェア(春の祭典)

日時:2013/3/24(日)~3/30(土) 11:00~19:00

場所:帝国ホテルプラザ3F 特別会場(エスカレーター前)

 ※地図は末尾

【参考】

ペルシャンギャラリー

ペルシャンギャラリー・帝国ホテルプラザ店

帝国ホテルプラザ・スプリングフェア

【地図】


大きな地図で見る

科学的な姿勢を育てるために

昼に空が青く見えたり朝夕に空が赤く見えるのが、大気を通過する光の散乱(レイリー散乱)によるものであることは、科学好きな小学生もたいてい知っている。なかなか良い説明をWebで見つけたので、URLを書いておこう。特に、ここで紹介されている偏光板を使った実験は小学生でもできる実験であり、理由は分からなくてもその不思議を経験することに大きな意味があるように思う。

http://www-antenna.ee.titech.ac.jp/~hira/hobby/edu/em/sky_polarization/index-j.html

ところで、科学の読物を読んで、本当にその説明を十分に納得できている子供は少ないと思う。それが正しいと納得できる実験を自分でやってみて初めて納得するならともかく、それらしく説明してある本を読んで分かったつもりになってしまうことは科学に対する正しい姿勢を損なうものだ。

僕は学生の頃、学習塾の教員のアルバイトをしていた。あの頃、「理科」で優秀な子供たちがさらに科学に興味を持つようにと思い、学校ではやらないような理科実験授業をよくやっていた。また、科学的な現象について少し突っ込んだ説明をしたりするように心がけていた。そして、何か説明すると「あ、先生!それ、知ってる、知ってる!」と目を輝かせて言う子供たちの姿勢に大きな戸惑いと危機感を感じていた。

当時、僕がやった理科実験は、多くの場合科学好きの子供たちには見たことも聞いたこともないようなもので比較的楽しかったと思う。例えば理科の教科書には「二酸化マンガンに、うすい過酸化水素水をそそぐと酸素が発生する」と書かれている。ほとんどの子供たちは、それを文字通りに何の疑問もなく従順に理解しており、どうして「《うすい》過酸化水素水」と書かれているのか考えもしていない。「《濃い》過酸化水素水だとどうなっちゃうのか」とか、「過酸化水素水とは違う物質ではだめなのか」など考えもしない。ここに科学に対する素養が育たない理由がある。濃い過酸化水素を二酸化マンガンに加えると、反応が激しすぎてフラスコから過酸化水素水が噴出して天井に届いてしまう。ただそれだけなのだが、教科書にも子供向けの科学の本にも「なぜ、《うすい》過酸化水素水」なのかは書かれていない。そして、子供たちはそれを読んで、読んだとおりに理解して分かったつもりになってしまう。

科学の本を読んだだけで分かったつもりになってしまったら、それは科学的な視点を失ってしまったことを意味する。大事なことは「ここに書かれていることは間違っているんじゃないか」という視点だ。そこに書かれていることが本当であることを自分なりの実験や思考を通じて検証しようとする姿勢こそが、科学や工学を志す者に必要な最低限の資質だと僕は思う。

《チエモク》
伊勢丹新宿店でやっている「大北海道展」に、2/9,10と2日にわたって足を運んだ。いわゆる物産展で、通常であれば海産物や農産物や乳製品あるいは有名なスイーツ類なんかが目当てなんだが、今回は違う。

「チエモク」だ。

「チエモク」は僕の高校の8年後輩であるチエ(千枝)ちゃんがやっている木工雑貨の工房&お店だ。自分の名前をもじったんだろうが、「知恵」もイメージさせる、シンプルで語感もよい素敵な名前だ。

いろいろな種類の携帯ストラップが人気で、中でも黒板消しのストラップがデザインのバリエーションも多く、大人気だと多くの友人から聞いていた。店で実際に目にすると、ミニチュアならではの見た目の可愛さだけでなく、35年も前の小学校の風景を彷彿とさせる20世紀少年的ノスタルジーもあり、僕も俄かに欲しくなって家族全員に一つずつ買ってしまった。

この工房の作品は見た目の可愛さだけが売りではないようだ。機能性や実用性も考慮して愛着が湧く、おそらく試行錯誤を重ねて作ったのであろう作品群もある。

例えば、木のスプーンやペーパーナイフは握った時の感触にとても惹かれるものであった。木の名刺ケースはスライド式の蓋が付いたものだが、磁石でピッタリ閉じるようになっていたり、蓋を開けると名刺がせり上がってくる仕掛けになっていたりと、機能的にも良く考えられている。

アクセサリーで目を引いたのは、白樺や桜の木でドングリやキノコを模った素朴で品の良いトップが付いたペンダント。金属チェーンのものと革チョーカーのものがあって胸元での揺れ方が違う。ワイフに似合いそうだと思ってドングリのペンダントをプレゼントしたら、予想をはるかに超えて喜んでくれた。

後輩だからということもあるが、こんな素敵な木工小物のお店があるので、興味があればネットショップを見てあげてほしい。

■チエモク
http://www.chiemoku.co.jp/

《チエモク》
伊勢丹新宿店でやっている「大北海道展」に、2/9,10と2日にわたって足を運んだ。いわゆる物産展で、通常であれば海産物や農産物や乳製品あるいは有名なスイーツ類なんかが目当てなんだが、今回は違う。

「チエモク」だ。

「チエモク」は僕の高校の8年後輩であるチエ(千枝)ちゃんがやっている木工雑貨の工房&お店だ。自分の名前をもじったんだろうが、「知恵」もイメージさせる、シンプルで語感もよい素敵な名前だ。

いろいろな種類の携帯ストラップが人気で、中でも黒板消しのストラップがデザインのバリエーションも多く、大人気だと多くの友人から聞いていた。店で実際に目にすると、ミニチュアならではの見た目の可愛さだけでなく、35年も前の小学校の風景を彷彿とさせる20世紀少年的ノスタルジーもあり、僕も俄かに欲しくなって家族全員に一つずつ買ってしまった。

この工房の作品は見た目の可愛さだけが売りではないようだ。機能性や実用性も考慮して愛着が湧く、おそらく試行錯誤を重ねて作ったのであろう作品群もある。

例えば、木のスプーンやペーパーナイフは握った時の感触にとても惹かれるものであった。木の名刺ケースはスライド式の蓋が付いたものだが、磁石でピッタリ閉じるようになっていたり、蓋を開けると名刺がせり上がってくる仕掛けになっていたりと、機能的にも良く考えられている。

アクセサリーで目を引いたのは、白樺や桜の木でドングリやキノコを模った素朴で品の良いトップが付いたペンダント。金属チェーンのものと革チョーカーのものがあって胸元での揺れ方が違う。ワイフに似合いそうだと思ってドングリのペンダントをプレゼントしたら、予想をはるかに超えて喜んでくれた。

後輩だからということもあるが、こんな素敵な木工小物のお店があるので、興味があればネットショップを見てあげてほしい。

■チエモク
http://www.chiemoku.co.jp/

人生初の10kmラン

今日、約47年の人生で初めて10km走った。僕は今日、そのことに猛烈に感激し、信じられないような達成感に浸っている。

今僕が感じているこの達成感は、10kmを何度も走ったことがある人には分からないかもしれない。10kmなんて普通に走る人が多いだろうし、そういう人、あるいはそういう人が近くにいる人にとっては、そんなに驚くことではないだろう。。

僕の友人には、サハラ砂漠やゴビ砂漠での250kmや北極マラソン・南極ウルトラマラソンに挑戦してきたOさんや、日本各地の100kmウルトラマラソンにチャレンジしているNさんのような人がいる。特にOさんのチャレンジは世界中の人に衝撃と感動を与えるレベルだ。それに対し、僕が達成したことは僕以外の人に驚きを与えることさえない。それでもなお、僕にとっては彼らが達成してきたスゴイ記録を目の当たりにした時よりも、自分の10km達成の方がはるかにビックリする出来事であり、そして感動しているのだ。

僕は子供の頃から長距離走が苦手だった。中学校や高校の体育の時も、たった3km走るだけでも苦しくて倒れそうになりながら先頭集団の倍以上の時間をかけてゴールしていた。長距離走がどうしてもダメだったが、それ以外のスポーツは全般的に得意な方だったから、「自分は長距離走に向いた身体じゃない」と30年以上も思い込んでいた。だから、ジョギングやマラソンが流行っていても、健康維持のため週に1回、約2km走るだけにとどめ、それでも辛い思いを乗り越えてやっているつもりだった。

そんな僕が真面目に長距離ランに取り組んでみようと思ったのは、2012年の秋に、前述のNさんやOさんに長距離を走るということがどういことなのか、多くの話しを聞いたからだ。とはいえ、彼らの達成した記録を聞いただけなら、ますます長距離走にチャレンジしようという気になどならなかっただろう。

彼らは二人とも、僕と同じように数年前までは長距離走とは縁遠いメタボなおじさんだった(う~ん、これご本人が読んじゃったら気分を害するかな。でも修正することなく、失礼な表現をお詫びします〜。)彼らからの共通するアドバイスは、チャレンジする精神力に関するものではない。それは、きっと長距離ランナーには当たり前なのかもしれないが、「走れるペースで走れ。そうすれば走れる。」ということだった。

つまり、僕が長距離走がダメだったのは、目標の距離を走れるペースよりも早いペースで走っているからだと言うのだ。僕はその話を最初から真に受けることはできなかった。それは「できる人」の言うことで、僕のような「できない人」にはできないのだと。しかし、聞いているうちに本当にそうかもしれないと思うようになってきたのだ。

そしてある日、いつもの2kmランよりもかなり遅いペース(6’10”/km)で走ってみた。すると、同じ程度の辛さで5km走ることができた。僕は彼らのアドバイスを信じることにした。

それから5kmを週に3回のペースで走ることにした。すると、走った日の次の日は毎回ひどい筋肉痛に苛まれることになった。これに対して、「鉄の女」と呼ばれるAさんから「そのペースなら、2週間で筋肉痛にならなくなる」というアドバイスを受けた。僕にはランナーたちのアドバイスを信じる心構えが既にできていたので、素直に信じて走り続けた。そして、そのアドバイスは見事にその通りだった。きっと彼女にも経験があるのだ。

それから、約2ヶ月。ずっと約5kmを週2~3日のペースで走り続けてきたのだ。そして、ふと気がつくと、最近は5km走ってもあとに疲労感が残らないことくらいになっていた。

そして、いつものように「今日」がやってきた。

前日5つの飲み会をはしごしたせいか、目覚めた時、二日酔いというほどではないが飲み疲れが残っていた。しかし、目覚めた瞬間、「距離を伸ばすのは今日だ」という気持ちがモヤモヤと心のなかに存在していた。徐々に頭が働くようになってくると、それは既に決意になっていた。そして、「今日走る距離は7km」と決めた。常識的に考えて、まだまだ素人ランナーなのに距離を急に2倍にするのは無謀だろう。先週膝が痛かったし、無理はしないほうがいいだろう。漠然とそんなことを考えていた。

朝ごはんも食べずに、飲み疲れをとるために風呂に浸かり、すぐに走りに出た。最近いつもそうであるように、走ってみると体が軽い。そして、7kmまであと少しという時になって、突然「もっとイケる!」という気持ちになってきた。「これなら10km走れる」という思いに急に取り憑かれたのだ。

疲れもない。息も上がっていない。膝の痛みもない。ここでやめる理由がどこにある?先週まで「夢の目標」のような気がしていた10km。「このままのペースで走り続ければ近い将来10km走ることができる気がする」と人に話したのはつい先週のことだ。それがこんなに早くに達成できそうなのだ。

正直に言うと、「10kmを達成したい」ということよりも、「仲間たちに『10km走ったよ』って伝えて、『やったね!頑張ったね』って言ってもらいたい」という気持ちが強かった。10kmという自分の中での内的な目標を達成したい気持ちももちろんあったが、それだけであれば今日は7kmでやめただろうと思う。

10kmって、ランニングする人にとっては大した距離じゃないかもしれない。でも、ランニングの目標って、他の人に比べてすごいかどうかじゃない。僕の仲間たちは、ちょっと前までの僕が、走ることについてどれだけダメで、どれだけ頑張ってきたか知っている。みんな、僕が10km走ったことを知ったら、きっとすごく喜んでくれるだろうし、すごく驚いてくれるだろうし、すごく褒めてくれるだろう。

僕は、まるで小さな子が母親に「ママ!ボク、口笛できるよ!ほら、聴いて!」って目を輝かせて言うのと同じように、Facebookや飲み会で「ボク10km走れたよ!今までのボクを考えれば、すごいでしょ!」って言って褒めてもらいたいのだ。

10kmも走ることができる自分は、2kmでハァハァ言っていた以前の自分よりも素敵だ。でも、応援してくれる仲間がいなかったら、僕はランニングをやろうとさえしなかっただろうし、まして目標を上げようとしたりしなかっただろう。

僕は「応援」という行為に大きな価値を感じている。僕みたいに感じる人は他にもたくさんいるだろう。だから、大袈裟かもしれないが、応援の精神こそ社会を豊かにする原動力だと思う。

「10kmを達成したい」という気持ちだけでホントに達成するには強い精神力が必要で、それができることはとても素晴らしいことだ。でも、「皆が褒めてくれるに違いない」との思いで頑張ることは決して恥ずかしいことじゃないし、多くの人が励まし合って、それで一人一人がより大きな成果を出せるのであれば、それってすごくいい社会だと僕は思う。

だからこそ、僕は自分が誰かを応援するだけじゃなく、多くの人を巻き込んでいろんな応援活動をしていきたいと思うのだ。

ハーブ&ドロシー・・・観て欲しい

2008年公開の映画「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」アート好きの方は必見。感動すると思います。お勧めです。多くの方に観ていただきたくて、仲間たちと企画しました。続編は3月公開ですが、まずは前作を御覧ください。

札幌プラザ2・5にて、1月3日新春無料上映会開催!まだ、席に余裕あります。

映画についてはここ

http://www.herbanddorothy.com/jp/

1月3日札幌プラザ2・5での無料上映会についてはここ

https://sites.google.com/site/hd50x50fund/show_sapporo_01

新聞などでも取り上げられました。

https://sites.google.com/site/hd50x50fund/home/zui-xin-qing-bao

ハーブ&ドロシーの監督、めぐみさんへの共感
2008年公開の「ハーブ&ドロシー」のDVDを観た。僕自身の感想はブログを読んでほしい。
http://htadano.tumblr.com/post/37899194606/herb-and-dorothy-01

本当に、深い感銘を受けた。

近いうちに別途報告させてもらうが、ニューヨークにいる監督の佐々木芽生さんにSkypeビデオ通話で70分も時間を頂いてインタビューさせてもらうことができた。(しかも、初対面のご本人にインタビュー前にお許しを頂き、「めぐみさん」と呼ばせてもらっちゃった。ここでも、「めぐみさん」と書かせてもらっちゃう。)

そして、そのインタビューを通じて新たな感銘を受けることになった。それは、主人公のアートに対する熱意にも負けない、めぐみさんの二つの熱い想い。

一つは、「ハーブとドロシーの生き方をもっと広く伝えたい」という想い。

ヴォーゲル夫妻がアメリカの国立美術館、ナショナル・ギャラリーに2千点を越える作品を寄贈したのが1992年。めぐみさんがナショナル・ギャラリーで初めて夫妻のコレクションに出会ったのが2002年。夫妻に出会って映画製作に思い至ったのが2004年。

既にアートの世界で名声を得てから10年以上も経っているのに、何故「夫妻のことをもっと知ってほしい」と映画作りを始めたのか?

それまでの報道は表面的なものばかりで、ヴォーゲル夫妻の真の姿、二人の情熱を伝えるようなものは無かったからだそうだ。つまり、有名になったといっても、「低所得で風変わりでなコレクターが若手アーティストの作品を買い集め、そのアーティストがたまたま有名になったから世界的なコレクションになった」というような評判だったのだそうだ。めぐみさんは、「これは、単にアートコレクターのサクセスストーリーではなく、人が幸せに生きるってどういうことかっていう生き方のお話」と語ってくれた。


もう一つ、めぐみさんが意欲を燃やすのは、日本でクラウド・ファンディング(ネットなどを介して低額の出資金を幅広く多数の個人賛同者から集める資金調達方法)による映画製作や配給のための資金調達を成功させることだ。

米国ではクラウド・ファンディングが定着しつつあるそうだ。しかし、日本では個人で資金協力する文化が醸成されていないことやネット上でお金を払うことに対する抵抗感などから、なかなか資金が集まらないのが現状だ。国内のクラウド・ファンディングの仕組み自体も貧弱だ。

日本の映画界では、比較的有名な監督でさえも資金供出してくれるスポンサー探しに苦労するし、ある程度スポンサーの意向にそう必要も生じる。まして、若手の監督にとっては自分の作りたい映画を作ることはあまりにもハードルが高い。映画の完成までたどり着いたとしても、小規模な上映会をやる程度で終わってしまうケースが多いのだそうだ。全国に配給して多くの人に見てもらうとなるとさらに資金が必要になる。


多くの個人に呼びかけて賛同してくれる人から資金協力を得ることができるようになれば、日本の映画作りは変わるに違いない。

めぐみさんが意欲を燃やすのは、日本国内のクラウド・ファンディングで1000万円集めること。実現すれば、日本では史上類を見ない規模のクラウド・ファンディングによる資金調達額になる。そして、映画製作の世界では、エポックメイキングなできごとになることだろう。

僕も、僅かながら10,000円の資金協力をさせてもらった。これは、いろんな特典の対価として払うのではない。めぐみさんの想いの実現に協力したいという気持ちもある。でも、それ以上に、日本の映画製作に新時代をもたらす活動に自分も貢献したいという気持ちから、資金拠出させてもらった。

でも、自分にはもっと貢献できることがあるのではないだろうか?もっとやれるはずだ。



【参考】
・「モーション・ギャラリー」の「ハーブ&ドロシー50X50」資金協力ページ
  http://motion-gallery.net/projects/herbanddorothy5050
・ハーブ&ドロシー50x50公式サイト
  http://www.herbanddorothy.com/jp/

ハーブ&ドロシーの監督、めぐみさんへの共感

2008年公開の「ハーブ&ドロシー」のDVDを観た。僕自身の感想はブログを読んでほしい。

http://htadano.tumblr.com/post/37899194606/herb-and-dorothy-01

本当に、深い感銘を受けた。

近いうちに別途報告させてもらうが、ニューヨークにいる監督の佐々木芽生さんにSkypeビデオ通話で70分も時間を頂いてインタビューさせてもらうことができた。(しかも、初対面のご本人にインタビュー前にお許しを頂き、「めぐみさん」と呼ばせてもらっちゃった。ここでも、「めぐみさん」と書かせてもらっちゃう。)

そして、そのインタビューを通じて新たな感銘を受けることになった。それは、主人公のアートに対する熱意にも負けない、めぐみさんの二つの熱い想い。

一つは、「ハーブとドロシーの生き方をもっと広く伝えたい」という想い。

ヴォーゲル夫妻がアメリカの国立美術館、ナショナル・ギャラリーに2千点を越える作品を寄贈したのが1992年。めぐみさんがナショナル・ギャラリーで初めて夫妻のコレクションに出会ったのが2002年。夫妻に出会って映画製作に思い至ったのが2004年。

既にアートの世界で名声を得てから10年以上も経っているのに、何故「夫妻のことをもっと知ってほしい」と映画作りを始めたのか?

それまでの報道は表面的なものばかりで、ヴォーゲル夫妻の真の姿、二人の情熱を伝えるようなものは無かったからだそうだ。つまり、有名になったといっても、「低所得で風変わりでなコレクターが若手アーティストの作品を買い集め、そのアーティストがたまたま有名になったから世界的なコレクションになった」というような評判だったのだそうだ。めぐみさんは、「これは、単にアートコレクターのサクセスストーリーではなく、人が幸せに生きるってどういうことかっていう生き方のお話」と語ってくれた。

もう一つ、めぐみさんが意欲を燃やすのは、日本でクラウド・ファンディング(ネットなどを介して低額の出資金を幅広く多数の個人賛同者から集める資金調達方法)による映画製作や配給のための資金調達を成功させることだ。

米国ではクラウド・ファンディングが定着しつつあるそうだ。しかし、日本では個人で資金協力する文化が醸成されていないことやネット上でお金を払うことに対する抵抗感などから、なかなか資金が集まらないのが現状だ。国内のクラウド・ファンディングの仕組み自体も貧弱だ。

日本の映画界では、比較的有名な監督でさえも資金供出してくれるスポンサー探しに苦労するし、ある程度スポンサーの意向にそう必要も生じる。まして、若手の監督にとっては自分の作りたい映画を作ることはあまりにもハードルが高い。映画の完成までたどり着いたとしても、小規模な上映会をやる程度で終わってしまうケースが多いのだそうだ。全国に配給して多くの人に見てもらうとなるとさらに資金が必要になる。

多くの個人に呼びかけて賛同してくれる人から資金協力を得ることができるようになれば、日本の映画作りは変わるに違いない。

めぐみさんが意欲を燃やすのは、日本国内のクラウド・ファンディングで1000万円集めること。実現すれば、日本では史上類を見ない規模のクラウド・ファンディングによる資金調達額になる。そして、映画製作の世界では、エポックメイキングなできごとになることだろう。

僕も、僅かながら10,000円の資金協力をさせてもらった。これは、いろんな特典の対価として払うのではない。めぐみさんの想いの実現に協力したいという気持ちもある。でも、それ以上に、日本の映画製作に新時代をもたらす活動に自分も貢献したいという気持ちから、資金拠出させてもらった。

でも、自分にはもっと貢献できることがあるのではないだろうか?もっとやれるはずだ。

【参考】

・「モーション・ギャラリー」の「ハーブ&ドロシー50X50」資金協力ページ

  http://motion-gallery.net/projects/herbanddorothy5050

・ハーブ&ドロシー50x50公式サイト

  http://www.herbanddorothy.com/jp/

2008年に公開された『ハーブ&ドロシー(Herb & Dorothy)』という映画のDVDを観た。

もともと、監督兼プロデューサーである佐々木芽生さんが高校の先輩だと友人から聞いて少し興味を持っていたのが、Amazon.comでDVDを購入して観てみようと思ったきっかけだ。

この映画は、ハーブとドロシーという米国に住む夫婦の「貧乏なアートコレクター」の生き方を描いたドキュメンタリー作品だ。僕は、ドキュメンタリー映画が嫌いなわけじゃないが、これまで観ようと思ったことがなかった。

しかし、DVDが届いた日、87分のこの映画を結局6時間も掛けて観ることになった。1回目は全編通して、2度めは何度も巻き戻しながら。

まず、最初にこのハーブ(本名はハーバートだろうか)とドロシーの、二人のアートに対する熱意と自分の感覚だけを信じて信念を貫きとおす生き方にとても強く惹かれる。

二人は、アートに関わろうが関わるまいが、全般的に謙虚で善良で、質素で慎ましい。アートに対しても、強い熱意と信念を持ちながら、決してわがままを押し通すわけでも、無茶をするわけでもない。慎ましい生活の中で、小さな借金はしてもそれ以上の背伸びもしない。無名のアーティストの作品。誰も見向きもしないけど、ただ自分が素晴らしいと感じる作品を買い集めるだけだ。

芸術を愛しているからこそ、作品を売ったりもしない。だからいつまで経っても、線路のように貧乏は続く。

一つだけ、明らかに能力的に人並み外れていることは、「美を見抜く力」だ。とくにハーブは、世に数多くいる美術商/画商のようなアートの見方をしない。その眼はいつもアーティストそのものを見つめている。目をつけたアーティストの全ての作品、作りかけのものも、途中でやめたものも、全てを見つめようとする。そして、何かそのアーティストの感性の奥底に流れる血の色でも吟味するかのように、覗きこむようにアート作品を見つめるのだ。

「審美眼を持った貧乏人」

映画の中に登場する誰かさんが、この2人のことをこのように評価する。ピッタリな形容かもしれない。

そんな、凄まじい能力を持ちながら、ただアートを愛して慎ましく暮らしていけばそれで幸せだという生き方そのものに僕は「美学」を感じる。美学を感じるから、彼らの生き方が美しいと感じる。

でも、特別な能力を持っていたからこの二人が幸せになったわけではないことは明白だ。彼らは、たまたまそういう能力にも恵まれて有名になったけれども、そうでなくてもただ自分が美しいと感じるアート作品に囲まれて幸せに暮らしたことだろう。有名になったことは、彼らにとっては成功でもなんでもないのだ。

次に感じることは、この二人の互いを尊重しながら助け合う温かい関係だ。アート作品の見方も違う。作品の購入に意欲的なのはどちらかと言えばハーブだが、ドロシーはその後のお金のことを考えて、きっと最善の判断をするのだ。借金をして買ってもコツコツと返していけるのはドロシーがきちんとお金を管理しているからだろう。でも、ずっと後になってから世の中が認めるような美を早くから見つけ出すのはハーブだ。この二人はうまい具合に互いを補い合って、融け合って、一つの方向を一緒に向いて生きていく夫婦だ。

そんな二人の人生観に強いあこがれを抱くのは僕だけではないだろう。2008年に日本で公開した時、25週のロングランだったそうだ。


《参考》
・ハーブ&ドロシーWebサイト
  http://www.herbanddorothy.com/jp/



※後記
この映画の監督兼プロデューサーである佐々木芽生さんに70分ほどインタビューする機会を得ることができた。そして、第二の感銘を受けることになった。そのうち、その内容もブログに書くことにしよう。

2008年に公開された『ハーブ&ドロシー(Herb & Dorothy)』という映画のDVDを観た。

もともと、監督兼プロデューサーである佐々木芽生さんが高校の先輩だと友人から聞いて少し興味を持っていたのが、Amazon.comでDVDを購入して観てみようと思ったきっかけだ。

この映画は、ハーブとドロシーという米国に住む夫婦の「貧乏なアートコレクター」の生き方を描いたドキュメンタリー作品だ。僕は、ドキュメンタリー映画が嫌いなわけじゃないが、これまで観ようと思ったことがなかった。

しかし、DVDが届いた日、87分のこの映画を結局6時間も掛けて観ることになった。1回目は全編通して、2度めは何度も巻き戻しながら。

まず、最初にこのハーブ(本名はハーバートだろうか)とドロシーの、二人のアートに対する熱意と自分の感覚だけを信じて信念を貫きとおす生き方にとても強く惹かれる。

二人は、アートに関わろうが関わるまいが、全般的に謙虚で善良で、質素で慎ましい。アートに対しても、強い熱意と信念を持ちながら、決してわがままを押し通すわけでも、無茶をするわけでもない。慎ましい生活の中で、小さな借金はしてもそれ以上の背伸びもしない。無名のアーティストの作品。誰も見向きもしないけど、ただ自分が素晴らしいと感じる作品を買い集めるだけだ。

芸術を愛しているからこそ、作品を売ったりもしない。だからいつまで経っても、線路のように貧乏は続く。

一つだけ、明らかに能力的に人並み外れていることは、「美を見抜く力」だ。とくにハーブは、世に数多くいる美術商/画商のようなアートの見方をしない。その眼はいつもアーティストそのものを見つめている。目をつけたアーティストの全ての作品、作りかけのものも、途中でやめたものも、全てを見つめようとする。そして、何かそのアーティストの感性の奥底に流れる血の色でも吟味するかのように、覗きこむようにアート作品を見つめるのだ。

「審美眼を持った貧乏人」

映画の中に登場する誰かさんが、この2人のことをこのように評価する。ピッタリな形容かもしれない。

そんな、凄まじい能力を持ちながら、ただアートを愛して慎ましく暮らしていけばそれで幸せだという生き方そのものに僕は「美学」を感じる。美学を感じるから、彼らの生き方が美しいと感じる。

でも、特別な能力を持っていたからこの二人が幸せになったわけではないことは明白だ。彼らは、たまたまそういう能力にも恵まれて有名になったけれども、そうでなくてもただ自分が美しいと感じるアート作品に囲まれて幸せに暮らしたことだろう。有名になったことは、彼らにとっては成功でもなんでもないのだ。

次に感じることは、この二人の互いを尊重しながら助け合う温かい関係だ。アート作品の見方も違う。作品の購入に意欲的なのはどちらかと言えばハーブだが、ドロシーはその後のお金のことを考えて、きっと最善の判断をするのだ。借金をして買ってもコツコツと返していけるのはドロシーがきちんとお金を管理しているからだろう。でも、ずっと後になってから世の中が認めるような美を早くから見つけ出すのはハーブだ。この二人はうまい具合に互いを補い合って、融け合って、一つの方向を一緒に向いて生きていく夫婦だ。

そんな二人の人生観に強いあこがれを抱くのは僕だけではないだろう。2008年に日本で公開した時、25週のロングランだったそうだ。

《参考》

・ハーブ&ドロシーWebサイト

  http://www.herbanddorothy.com/jp/

※後記

この映画の監督兼プロデューサーである佐々木芽生さんに70分ほどインタビューする機会を得ることができた。そして、第二の感銘を受けることになった。そのうち、その内容もブログに書くことにしよう。

《北アルプス常念岳の四季》
仕事で安曇野に訪れるようになったのは2008年からだ。その間、1年くらいブランクがあったものの、今も毎週のように松本・安曇野エリアに出張に行く。

そこには雄大な北アルプスの風景が広がっている。毎日のように北アルプスを眺めていると、その日によって、また時間帯によって山の見え方に変化がある。

 色鮮やかで輪郭もくっきりとしてとても近くに見えたり、

 とても遠くにおぼろげに見えたり、

 厳かに佇んでいるように見えたり、

 元気に見えたり、

 悲しんでいるように見えたり、

 胸を張っているように見えたり、

 寂しげに見えたり、

 怒っているように見えたり、

 寒々として見えたり、

 爽やかに見えたり、

 雲に覆われたり、

 雲を見下ろしたり。

特に、松本・安曇野周辺から北アルプスを眺めると、中でも常念岳の高さと形の美しさに目を奪われる。

僕は安曇野に足を運ぶようになってから、この常念岳を目にする度に写真をずっと取り続けてきた。そして、いつの日か常念岳の四季の変化をパラパラ漫画にしたいと思い続けてきた。

 雪が消え、

 緑が増え、

 真っ青な空に輝き、

 赤く色づき、

 雪を被り、

 雪に覆われる。

その姿は、何年見続けても、全く飽きることがない。

松本で見る常念岳と安曇野で見る常念岳では形が違う。大糸線でもっと北上すると、全く違う形に見える。

山は、人と同じように、いろいろな表情を見せてくれる。

(2012.12.9 H.Tadano)